『琉球文化の象徴』

沖縄を代表する伝統工芸の一つである琉球びんがた。

琉球王国の王族や士族の礼服に用いられ、その一族だけが身に纏うことを許されていました。

染料ではなく顔料で染められるのが特徴で、沖縄の強い日差しに負けない鮮やかな色彩は世界で最も美しい民族衣装と称されることもあります。

びんがたを漢字で書くと紅型と書いて「紅」は色彩、色の総称。「型」は模様をさします。

玉那覇有公 名古屋帯

琉球の象徴として文化に華を添えた紅型も明治時代の廃藩置県後、王府の庇護をなくしたこともあり急速に衰退してゆきました。その後、追い討ちをかけるように太平洋戦争末期の沖縄戦によって沖縄は焦土とかし、伝統を引き継いでいた職人の工房や道具のほとんどが失われてしまいました。紅型復興に尽力したのが、王朝時代からびんがた宗家として染物業に従事してきた城間家の城間栄喜氏と知念家の知念績弘氏です。

 

琉球は日本と中国、アジア諸国とも近い存在でいて均等にどこともつながれる地域にあり、日本の友禅や中国の花布、インド更紗にジャワ更紗など色々なところから得た染色技術を取り入れて、18世紀に王族の染色技法として完成したといわれています。

 

知念貞男(竺仙)名古屋帯

琉球国の時代、染色の職人は「紺屋」とよばれ、首里や那覇には沢山の紺屋がありました。その中でも紅型三宗家と呼ばれる知念家、城間家、沢岻家があります。

沢岻家が首里の染屋中最も古い家系とされており、紅型や藍型の基礎をつくったとされているようです。知念家は中国にて唐型紙の技術を学び紅型に取り入れ、紅型を発展させる。戦後の悲劇的な混乱の中、あらゆる素材を工夫し、紅型の復興に情熱を傾け続けた人物が城間栄喜氏で城間家の家系です。

城間栄順 名古屋帯

紅型の製作工程

図案・デザイン→ 型彫り → 型置き →色作り → 色差し → 隈取り → 蒸し → 水元(白地の場合はここで完成) → 地染め

玉那覇有公 藍型着尺